はじめまして。
「線路とヒコーキ雲」を運営している、れいこんです。
「れいこん」という名前は、X(旧Twitter)で13年ほど使い続けているアカウント名です。
アカウントを作った当初は、鉄道を意味する「Rail」と、飛行機雲を意味する「Contrail」を組み合わせて、「Rail & Contrail」と名乗っていました。
ただ、名前としては少し長い。
そこで、いつの間にか頭の部分を取って「れいこん」に短縮しました。
それから13年。
いつか自分のホームページを作りたいという思いは以前からあり、
実はこれまでにも「線路とヒコーキ雲」という名前で、何度かブログを立ち上げたことがあります。
けれど、作っているうちに「なんか違う」と感じ、どれも途中でやめてしまいました。
それでも、この名前だけはずっと気に入っていました。
13年前に何気なくつけた「Rail & Contrail」が、時間を経て、ようやく納得のいく形で「線路とヒコーキ雲」というホームページの名前になりました。
長い時間をかけて伏線を回収できたようで、個人的には少しうれしく思っています。
鉄道が好きになった原点
1995年、秋田県横手市生まれ。
幼い頃から、父の影響で鉄道が好きでした。
家には、父が買いそろえていた『鉄道ジャーナル』がありました。
真島満秀さんをはじめとする、マシマ・レイルウェイ・ピクチャーズの鉄道写真。列車そのものだけではなく、
鉄道が走る土地の空気まで写っているような写真が格好よく、何度もページをめくっていました。
特に好きだった車両は、地元を走っていたE3系「こまち」。
父にはたびたび北上駅へ連れて行ってもらいました。
しばらくホームで待っていると、遠くからライトが見え始める。やがて「やまびこ」と「こまち」が、轟音とともに目の前を通過していく。
あの体験が、新幹線を好きになった原点です。
また、地元横手には、さまざまな列車が走っていました。
秋田新幹線の開業前まで走っていた寝台特急「あけぼの」や急行「津軽」。山形新幹線の新庄延伸前まで走っていた特急「こまくさ」。
そして、毎日の暮らしの中にいた701系。
さらに時代を遡れば、父が若かった頃まで、横手から本荘を結ぶことを目指して建設された羽後交通横荘線も走っていました。
自分がその姿を見たことはありません。それでも、かつて地元にそんな鉄道があり、人々の暮らしを支えていたという歴史には、昔から強く惹かれてきました。
実際に見てきた列車も、写真や本、父の話を通して知った鉄道も、すべて今の自分の鉄道趣味につながっています。


陸羽東線経由時代の寝台特急「あけぼの」 父撮影
親がこうなら息子もこうなる。
鉄道を撮り始めたきっかけ
ただ、小学校から高校までは、ひたすら野球をしていました。
鉄道は変わらず好きでしたが、練習・試合漬けでどこかへ撮りに行く時間もなく、鉄道と触れるのは毎日の通学くらい。
鉄道は「撮るもの」ではなく、まだ「見るもの」でした。
転機になったのは、大学進学が決まった2014年の春。
初めて一眼レフカメラを手にし、秋田新幹線からの引退が迫っていたE3系を撮りに行きました。
何をどう撮ればよいのかも、まだよく分かっていませんでした。
それでも、自分が好きな車両を、自分の手で写真に残せる。そのことが単純にうれしかったのを覚えています。
これが、自分にとっての鉄道撮影の始まりです。
同じ年、大学進学のため茨城県へ移りました。
大学でも野球を続けるつもりでしたが、肩を痛めて断念。
ずっと続けてきた野球がなくなり、代わりに手元に残ったのが、大学進学前に買った一眼レフカメラでした。
そのカメラを持って、鉄道や飛行機を撮るようになりました。

一眼を持って初めての撮影。
湊線で出会った鉄道写真
進学して新生活がある程度落ち着いたある日、近くを走るひたちなか海浜鉄道湊線を、何気なく訪れました。
そこで走っていたのは、旧型気動車の3両編成。
こんな車両が、大学の近くを普通に走っている。
それまで存在すらよく知らなかった自分にとって、その光景はかなり衝撃的でした。
「近くを走っているなら、もっと撮ってみよう」
そんな軽い気持ちで湊線へ通うようになりました。
そこで、沿線で毎朝のように撮影している人と出会いました。
その人が撮っていたのは、単に車両を記録するだけの写真ではありませんでした。
毎年、どの時期に、どの方向から太陽が昇るのか。
どんな条件が重なると霧が出るのか。
田んぼに水が入るのはいつか。花が咲くのはいつか。どこでオニヤンマが羽化するのか。そこを誰が通り、どんな暮らしがあるのか。
沿線を毎日のように見続けているからこそ分かる、季節の変化や自然の兆し、人の営み。
そのすべてを読みながら、列車がそこを通る瞬間を写真にしていました。
鉄道写真というより、その土地を知り尽くした人にしか撮れない風景の記録でした。
その写真に強く影響を受け、車両だけでなく、鉄道が走る土地そのものにも惹かれるようになりました。
思い返せば、幼い頃に『鉄道ジャーナル』で眺めていた写真とも、ここで再びつながったように思います。

まだシャッタースピードの概念を知らない頃。
知らない鉄道を見てみたい
その後は、新幹線や国鉄形車両、地方私鉄を中心に撮影してきました。
さらに転機があったのは、大学3年生の頃。
ある夜、終電で最寄り駅へ帰ってくると、ホームの向こうに見慣れない車両が停まっていました。
旅客列車でも、貨物列車でもない。
機械然としていて、無骨で、妙に格好いい。
調べてみると、それは線路の保守作業に使われる、マルタイやBRと呼ばれる保守用車でした。
毎日のように利用していた鉄道にも、まだ自分の知らない世界がある。
そのことに気づいてから、興味の範囲が一気に広がりました。
森林鉄道、産業用鉄道、ナローゲージ、遊園地の遊覧鉄道。
一般的な鉄道路線だけでなく、「これも鉄道なのか」と思うようなものまで、気になったものには片っ端から足を運ぶようになりました。
もっとも、こうした興味は、突然生まれたものではなかったのかもしれません。
幼い頃には『知られざる鉄道』を読み、『鉄道おもちゃ』に掲載されていた庭園鉄道の記事にも夢中になっていました。
なかでも強く記憶に残っているのが、桜谷軽便鉄道軌道線です。
家の周囲に線路を敷き、架線を引き、自作した列車を自分の手で走らせる。
小学生くらいの時期には、かなり本気で憧れていました。
庭園鉄道の記事を読んで、自宅の庭にプラレールを敷いてみたこともあります。
もちろん屋外用ではないので、レールはすぐに土まみれになり、親に怒られました。
今思えば、ナローゲージや小さな鉄道に惹かれる自分の原点は、すでにその頃にはできあがっていたのかもしれません。

保守用車との出会い ここから沼へ
いま撮りたいもの
写真を始めた頃は、新幹線や湊線を中心に、編成をきれいに写した写真や、季節の風景と列車を組み合わせた写真を多く撮っていました。
大学2、3年生の頃には、「人と違う写真を撮りたい」と、少し尖っていた時期もありました。
他の人が撮らない構図や、変わった見せ方を探していたように思います。
社会人になり、自分のお金で全国へ出かけられるようになると、写真に求めるものも少し変わりました。
まだ知らない鉄道を見てみたい。
その鉄道が、なぜそこを走っているのか知りたい。
列車の向こうにある、土地の風景や気候、暮らしに触れてみたい。
今は、そんな好奇心が写真を撮る大きな理由になっています。
全国を回っていると、まずは定番の場所で、手堅い写真を撮ることも多くなります。
以前の自分なら、「人と違う写真ではない」と気にしていたかもしれません。
けれど今は、最初にその路線の王道を知ることにも意味があると思っています。
まず、その鉄道を見に行く。
その土地を歩き、列車を撮る。
そして、また行きたいと思った路線を、少しずつ深めていく。
今はまだ、その第一段階です。
写真にさらに深みを持たせていくのは、その先でもいい。
何より今は、自分の好きな鉄道を、自分の好きなように追いかけられることがうれしい。
有名な鉄道も、名前すらあまり知られていない鉄道も、同じように自分の目で見て、写真に残していきたい。
このサイトでは、これまで各地で撮影してきた鉄道や飛行機、猫、旅先で出会った風景を紹介していきます。
そんな記録を、ここに少しずつ残していけたらと思っています。

